髙宮利行『西洋書物史への扉』

 古代メソポタミアから現在までを、断章形式紹介していくお話。こうしてみると、現代の読書環境とはずいぶん違うんだなあ、と。そもそも、羊皮紙とか、パピルスとか、どっちにしてもお高そうだし。でも、羊皮紙にしても、思ったよりは供給が潤沢そうではあるが。
 あと、ゴシック体ってめちゃくちゃ読みにくくないかとか、写本と印刷本の同時代併存は近世の日本でもそうだなあとか。


 一話目は「文字メディア、いにしえの形態」ということで、ローマ軍が駐留していたイングランドスコットランド国境近くのヴィンドランダから発掘された木簡の紹介。日本だと、荷札とか公的な関係の木簡が多い印象だけど、私文書が多い感じかねえ。招待状だの、物を送った書状とか。薄板は、安く確保できそうな記録メディアだよなあ。


 「写本以前」はニムルドから発掘されたアッシリア文明の蝋板から、古代メソポタミアの文書のお話。最古の女性作家の話が興味深い。


 「冊子本の誕生」は、巻子本と冊子本の話。巻物は、大部の書物ほど扱いにくい、と。パピルスは、薄く削いだカヤを縦横に重ねて紙にしているから、繊維が縦の裏面は書きにくい。それに比べると羊皮紙は外皮側がちょっと書きにくいとか。煤にアラビアゴムを混ぜたインクからオークの虫こぶにミョウバンを混ぜた金属インクに。しかし、金属インクは時間が経つと紙を侵食する。
 あとは、聖書を中心とするキリスト教著作が、ギリシャ古典やユダヤ教などの巻子本に対抗して冊子形態を選択して、差別化を図ったらしいとか。


 「中世式知的生産の技術」は、中世の大学の「ペチアシステム」を紹介。中世の大学は、教科書を自分で作らないといけないのか。まあ、勉強にはなりそうだよなあ。
 文具商に備え付けの大学公認の元本が置かれていて、それを一帖ずつ借り出して転写。それを繰り返して、一冊の本が手元に残る。で、傷んだ元本は製本される。大学を調査すると、そういう保存状態の悪い写本が残っているという。


 「音読、朗読、そして黙読」。ヨーロッパには、発表(Publish)=公衆の前での朗読という伝統があるのか。しかし、一冊の本を数日かけて朗読って…
 アウグスティヌスや中世の写本室の例から、併用自体だったらしいことが。
 7-8世紀アイルランド修道院で、単語間にスペースを入れる分かち書きや句読点、段落を示す朱書きを入れるようになって、黙読が可能になったというのが印象深い。それ以前には、そもそも何が書いてあるのかを教えてもらわないと、読めなかったのか。平安時代文学とかもそんな感じだよなあ。学校の教科書でも切れ目が分かりにくいという。


 「写字生の仕事場」は、絵画に描かれた写字生の仕事場の風景。王侯貴族の秘書的な立場だと部屋が豪華で、民間だとやはり貧相な部屋に。そもそも、名前が伝わる写字生の数が少ない、と。ペンと摩耗した羽ペンを削るペンナイフの二刀流が、写字生のステレオタイプな姿、と。


 「回転式書架のイコノグラフィ」。回転式書架というと、グルグルと水平に回る回転式書架は今でも使われている、辞書などの書架で図書館で見かける、けど、縦回転のものは目立つけど、例が少ないと。本を広げた状態で保持して、ホイールで複数回しながら参照するタイプが興味深い。内部構造がどうなっているのだろうか。あと、維持が大変そう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/06/Le_diverse_et_artificiose_machine_del_Capitano_Agostino_Ramelli_Figure_CLXXXVIII.jpg



 「古典の再発見とルネサンスの矛盾」。ルネサンス時代に写本を渉猟したブラッチョリーニのお話と古典テクストの流布。しかし、大航海時代で世界の情報が出回ると、古典文献との齟齬が大きくなって、権威が揺らいでいく。
 あとは、古いカロリング体の書体から今に至るヒューマニスト体のアルファベットを作り出したお話とか、ルネサンスの人文学者がゴチック体を嫌ったとか。


 「ヨーロッパ世紀末の写本偽作者」は、19世紀末に中世写本の贋作者が横行した。「スパニッシュ・フォージャー」やシエナイチリオ・フェデリーコ・ヨニ、ベルギーのテオドール・アゲが紹介。前二者は、独特の作風で見破られることになったが、逆に今ではコレクター垂涎の的とか。アゲは、16世紀の写本を再製本して、アンリ2世が愛人の為に製本させた書物の模造品を作った。ガチで労力をかけたほうは、「作品」として珍重されるようになるわけか…


 「愛書狂時代のファクシミリスト」。19世紀前半に、古書類の蒐集が流行った時に、欠落したページを肉筆で寸分違わず再現して、補ったペン・ファクシミリスト、ジョン・ハリスのお話。自分で作ったページが、後から分からなくなるというのが、すごいな。一方で、本文転写に関してはミスが多く、本文校訂の邪魔になったとか。
 19世紀前半の古書コレクターのアレな感じが。再製本して、中世以来の製本材が捨てられたり、ページを溶剤で「洗って」変質させてしまったり。今の感覚からすると、文化財破壊だなあ。