「途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない」についてメモ

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 一読して、こうどこから突っ込んでいいのか。
 そんなに単純な世界ではないから、社会問題というのは大変なんじゃないか。この程度のスペースでこの手の問題が論じられるなら、ウォラーステインの『世界システム』シリーズみたいな分厚い本を書く意味がなくなってしまうだろう。
 「搾取」というタームを使う側も単純化しすぎというところがあるのかもしれないが。


 第一に気になる点は、議論が、なんか19世紀の「自由主義者」や「帝国主義者」、保守主義者の主張を髣髴とさせること。一読しただけで、警戒感を刺激する。

多国籍企業に比較的安い賃金で雇用されることが搾取と言うなら、今、世界で急速に成長し豊かになっている発展途上国はむしろ搾取されているからこそ豊かになっているのです。
インドや中国、最近ではベトナムなどは安価な労働力が目当ての多国籍企業がどんどん進出したから先進国の技術や資本が移転して豊かになって行ったのです。

 ここなどはまさにそんな感じ。「帝国主義」の「文明化」という主張と、述語を変えただけでは。外資主導の経済発展はむしろ次善の策というか、本来健全なものではないのではないか。日本の近代化の過程が示しているように、自前の資本・資源でバランスよく成長していくのが一番健全なありかただろう。
 この手の議論に、私は片っ端から「新古典派」とか「新自由主義」というレッテルを貼り付けることにしているが、まさに出自に近い主張。
 現代がめんどくさいのは、「自由放任」というのが成立し得ない、つまり規制を行なわなければ公正な競争は存在しない。逆に「計画経済」も成立し得ない、人間の理性は社会を制御できない。つまるところ「理想」は実現し得ないということが明らかになり、そのなかでましなバランスはどこかを調整していかなければならないということ。先に「理想」も無いのに、調整していかねばならないというのは、意気が上がらないもの。今度の破綻直前の「新自由主義者」の楽しそうな様子を見るにつけ、人間何かの理想が欲しいのだな。


 第2点は、歴史的視点が完全に欠けていること。南北問題については、近代の過程で自生的な国家への凝集という過程を妨害されたという側面が重視されるべき。
 ヨーロッパや日本のような早い段階で「近代化」に成功した地域は、政治・社会全体で集団主義や地域への固着性が強い。これに対して、人類社会の大半の地域では、人間集団は遊動性が高いし、政治体制への凝集性が低い。近代資本主義システムは、そもそも前者に適するように形成されているから、後者は最初から不利。しかも、植民地支配の結果、国の線引きや人の凝集が不自然になっているから、ますます不利。パキスタンの現状などは好例といっていいだろう。
 資本主義のシステムを維持するコストの問題。ヨーロッパは、アメリカ大陸・アフリカ大陸の社会を破壊しながら、アメリカ大陸の資源を収奪し、その富によって資本主義のシステムを離陸させることに成功した。その歴史的プロセスに対する無理解。現在、最貧国が国際貿易体制から隔離されている状況は、結果。

実際問題として、最貧国がなかなか這い上がれないのは一にも二にも政治が腐敗しているからです。
一部の政治家や役人や軍人が自分やその身内だけで富を独占し、自分たちの権力を脅かしそうな自国民を見つけては次々と虐殺しています。
大日本帝国もそうであったように、時として自国のトップが一番の害悪なのです。

には、部分的に同意するが、歴史的経緯や文化的特性を無視して議論するのは無意味だろう。アフリカを例に取れば、そもそも生存環境が長期的な定住に不利な環境であり、歴史的に人間集団が激しく移動している(『新書アフリカ史』ISBN:4061493663)。さらに19世紀の植民地支配の結果、政治的まとまりや人の流れを無視した国境が引かれ、国内の政治的安定を損なっている。そのような経緯の理解なしに「政治の腐敗」といっても仕方ない。賄賂や利権に関する認識もずいぶん違うだろう。そもそも、ヨーロッパにしろ、日本にしろ、割と最近(100年から200年ほど)まで役得というのは普通のことだった訳だし。この点では、昨日読み終わった臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』が面白い。


 第3点は、何度か使われた「思考実験」について。「貧困者が消滅すれば」などという思考実験が無意味。そもそも、低所得の人間が消滅しないから「問題」となるし、実際にその人々が死んでいくような事態になれば座視できないから対策が必要となる。ある人間集団が跡形も無く消滅して問題かされないことが「搾取」なのでは?
 その論法で言えば、世界の富裕層最上位3%ほどがいきなり消滅したとして、何か困ることでも?

しかし、貧困問題の矛先を金持ちや大企業に向けることは全くもって何も問題を解決しないのです。
元イギリス首相のサッチャーが言ったように、金持ちをいじめて貧乏にしても、もともとの貧乏人はもっと貧乏になるだけなのです。

とあるが、実際のところ、富の配分を変えればずいぶん違うのでは? 金持ち優遇政策でイギリスの教育や医療システムを破壊したサッチャーの言葉を引いても全然説得力がない。
 まあ、このあたりの論旨から離れると、実際のところ「搾取」のタームがあまり有効でないとは思う。1970年代後半以降を需要に対して生産能力が過剰な状況にある成長の停滞局面と考えれば、格差の拡大はある程度不可避の事態とも言える。このような状況では全体の消費が増えない中で、互いにシェアを食い合うだけだから。そのなかで勝者と敗者が出てくるし、商品の価値は基本的に価格の低下の方向に流れていくだろう。ただ、それでも政策や富の再分配に気を配ることで、社会の「悲惨」を軽減することはできると思う。


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