「江戸野菜 復活めざせ:本で魅力紹介」『朝日新聞』10/1/10

 昔むかし、江戸は農業の先進地。その伝統を継ぐ小松菜や練馬大根が、再び表舞台に――。東京ゆかりの野菜の歴史といまを伝える本「江戸東京野菜」(農文協)が出版された。一度は廃れながら、栽培が復活している個性的な作物の魅力や、「産地」という東京の意外な姿を、豊富なエピソードと写真で紹介している。  (佐藤美千代)


 本は「物語篇」「図鑑篇」の2巻。双方を執筆、監修した大竹道茂さん(65)は、3年前までJA東京中央会に勤め、伝統野菜の復活に携わった。農家に生産を呼びかけながら、市場や消費者とを結ぶ活動を続けている。
 「農家が種を採り、作って食べて、つないできた伝統野菜。その食文化や遺伝子資源の価値にぜひ目を向けて」と大竹さん。江戸東京博物館では二十数種類栽培されており、京野菜や加賀野菜のような存在に育てたい、と考えている。
 「物語篇」は、幕府が開かれた当時の事情から説き起こした。人口急増への対応で農業が盛んになり、各大名屋敷では国元から持ち込んだ野菜が作られた。各地と江戸の間で種が行き来し、品種改良も進んだという。
 関西から入った青ネギは、江戸の風土に合わせて土寄せして育てたことで、白い部分が長い「千住ネギ」に生まれ変わった。練馬では、後の五代将軍・徳川綱吉尾張から種を取り寄せて大根を作らせた、といった逸話が満載だ。
 「図鑑篇」は代表的な作物17種を取りあげた。漬物向きでツートンカラーの「馬込半白きゅうり」、クセがなく軟らかい「伝統小松菜」など、色かたちや味もユニーク。畑のルポや生産者の声は、都市農業の事情を伝えている。


生産に手間 カギは消費者増
 いま出回る野菜のほとんどは、耐病性や見た目の良さを重視して開発された「F1」と呼ばれる交配種だ。その普及につれて、手間がかかり、量産に不向きな伝統野菜は作られなくなってきた。
 一方で、最近は地域色豊かな産品として見直す動きも盛んで、食材に取り入れる料亭やレストランもある。墨田区では寺島ナスが小中学校で栽培され、食農教育や地域おこしのシンボルとして注目されている。
 練馬大根は20年ほど前から練馬区とJAが育成に取り組み、タクアンなどの加工品作りも活発だ。区内で10代続く農家の井口良男さん(58)は、一昨年と昨年、区の委託で収穫体験用に10アール作付した。父親は作っていたが、自分で手がけたのは初めてだ。「規模が小さい東京の農業は地方の大産地に太刀打ちできず、給食用の需要や直売が頼り。伝統野菜も、買って食べてくれる人がどれだけ増えるかが課題です」と話す。
 「江戸東京野菜」の大半は生産量が少なく、主に農家の庭先やJAの直販所で販売されている。大竹さんが代表を務める「江戸東京・伝統野菜研究会」のウェブサイト(http://fvl.jp/ootake/img/1001_2.pdf)では、買える時期や場所の情報を紹介している。

 江戸ってのは、大量消費地に近くて大量の需要があったことや参勤交代や旅行者の集中によって活発な情報の交換が行われたことで、品種開発の中心地だったんだよね。さらに、その土地に適した作物が選抜されて、江戸野菜が形成されたのだろう。板橋区立郷土資料館の企画展「江戸・東京の四季菜」でそのあたりが紹介されていたような。
 しかし、「規模が小さい東京の農業は地方の大産地に太刀打ちでき」ないってのも、時代の変化の厳しさを感じさせるな。それこそ高度成長以前には、巨大都市江戸・東京の近郊という地の利を生かして、小単位の農地で園芸作物による高付加価値経営が行われていたのだろうし、屎尿が肥料になっていた頃は施肥の点でも有利だったのだろう。それが、輸送手段の変化や冷蔵・冷凍技術の普及、化学肥料の普及によって、逆に小規模さが足かせになってしまっている状況。そういう状況だからこそ、改めて東京に近いという地の利を、どのように利用するか。

江戸東京野菜 物語篇

江戸東京野菜 物語篇

江戸東京野菜 図鑑篇

江戸東京野菜 図鑑篇