「空襲から飛行機守る掩体壕跡:調査終了 町に報告書 あさぎり町:高谷さんと山下さん 町文化財の指定求める」『熊日新聞』09/1/7

 太平洋戦争中、飛行機を空襲から守るために造られたあさぎり町上東の掩体壕跡の調査が六日までに終了した。全国でも珍しい木製の屋根を備えた有蓋掩体壕で、調査で他県に残る同種の壕と大きさが同じことが判明。一定の規格に基づき掩体壕が造られていたことを裏付けた。


 同地には本土決戦に備え、一九四五年、旧陸軍の神殿原飛行機が造られた。掩体壕は滑走路から約1キロほど離れた那須明さん(八三)方の山林に造られ、ホームベースの形をしたコンクリートの基礎が残っている。
 昨年四月から調査が行われ、壕の形状の確認や測量を実施。土塁部分を含めた大きさは幅二十七・五メートル、奥行き二十四メートル。入り口の開口部は十五・五メートルあった。木製の有蓋掩体壕については、山梨県南アルプス市で二件の調査例があり、それらとコンクリート基礎の規格が同じだった。
 あさぎり町掩体壕の場合、松材の板木を組み合わせ、その上に杉皮などをかぶせて土を盛り、芝が植えられていた。那須さん方には当時の部材も保存されている。
 調査に当たった玉名荒尾の戦争遺跡をつたえるネットワークの高谷和生さん(五四)=玉名市=と、あさぎり町の研究家、山下完二さん(七六)が六日、同町教育委員会に報告書を提出。町の文化財に指定するように求めたのに対し、同教委教育課の前田洋課長補佐は「文化財保護委員会に報告書の中身を説明し、現地調査を踏まえた上で方向性を出したい」と答えた。
                   (本田清悟)

 球磨郡あさぎり町終戦間際に造られた神殿原飛行場の掩体壕についての記事。意外と熊本県内のあちこちに飛行場があったのだな。部材も保存されているというのがすごい。
 掩体壕と言えば、熊本市の東部にもあるな。長嶺の掩体壕。最近、竹林が切り払われて、外からも分かるようになった。健軍飛行場のものだが、どんな飛行機が置かれたのか。健軍三菱工場で製造された飛竜を一時的に置くものか、余所から来た部隊のために一時的に整備したものか。→健軍飛行場の掩体壕