「トーマス・グラバーと近代日本の曙」

 本日は熊本県立大学で行われたフォーラム「トーマス・グラバーと近代日本の曙」→http://pukeibun.blog.fc2.com/blog-entry-17.htmlを聴きに行く。講演者は三人。

  1. マイケル・ガーデナMichael Gardiner「幕末・維新の日本とスコットランドとの交流:トマス・グラバーを中心に」
  2. 杉浦裕子「幕末期のおける英仏の対日外交とグラバー」
  3. 里好俊「グラバーと蝶々夫人伝説」



 最初のガーデナ講演は、スコットランドと日本の文化交流を中心に。全体の流れはちょっと把握しづらかったが、まずはスコットランド啓蒙思想が日本の明治啓蒙にほぼ直輸入されている話。イングランドスコットランドの合邦によって政治的な発展を封じられたスコットランド人が、自由貿易に活路を求めたこと。啓蒙思想自由貿易が非常に近しいこと。失業した武士階級が、普遍的な文化や思想を摂取する必要があったため、似たような環境にあったスコットランド啓蒙思想が積極的に導入されたという。
 つづいては、自由貿易帝国主義の話。自由貿易を維持するには永遠に拡大する市場と「文明」を輸出することが両輪で、これが「帝国」だったこと。日本の自由主義軍国主義をミックスした発展は、ちょうど植民地維持にコストがかかった状況での、大英帝国の非公式帝国拡大のテストケースだったのではないかという指摘。グラバーが重要性を持てたのは、直接的な植民地拡大から、強い国家と自由貿易の組み合わせへと政策転換を行い、貿易が外交の重要なテーマになった時とちょうど重なったからではないかという。
 『宝島』などを書いたスコットランドの小説家スティーブンソンが日本に興味を抱いていた話。父親は灯台建造の技師で、日本に灯台のシステムを輸出するためにイギリス政府に雇われたのがきっかけだという。灯台も「光を与える」という意味で、別の意味での啓蒙(Enlightenment)であり、裏腹に監視や暴力的に光で照らしだすことも含み、その意味で核兵器にも通じるとか、パノプティコンなんかに言及している。また啓蒙と自由主義のセットでの輸出については、スティーブンソンの『吉田寅次郎スティーブンソン「吉田寅次郎」から分かるという。
 同氏の著作At the Edge of the Empire:The Life of Thomas Gloverは年内に出版予定だそうで、詳しいことはそちらを読んでから。講演後の質問で、グラバーについて研究を始めたのが、出版社からグラバーの伝記を書いてくれというオファーを受けたからという話が面白かった。


 第二の杉浦講演は、幕末の英仏の対日外交の変遷とその中でのグラバーの活動を整理したもの。幕末の日本が植民地化を免れた理由として、ヨーロッパ列強が植民地の反乱や本国での戦争で軍事力を費消し、アメリカも南北戦争で、日本に武力展開を行う余力がなかったこと。その結果、イギリスの帝国主義政策が1860-70年代に非拡張主義で「外圧の谷間」にあったと指摘している。このあたり興味深いが、この時期に、全土を制圧するような軍事力を展開するには技術的に難しかったという側面もあるのではないだろうか。19世紀の末期以降は、ヨーロッパの軍事的展開能力は拡大するが、この時代には限られたもので、海軍力の優位に頼ったものであった。アヘン戦争にしても、北京への食糧供給路を閉じられたことで、清は講和に応じたわけだが、必ずしも陸戦では優位ではなかった。まあ、江戸湾を封鎖されれば、江戸に米が入ってこなくなって大混乱に陥るわけだが。清が中央一極支配だったのに比べると、幕府と藩に分かれた分散的な日本の方が抵抗力は強かったのではなかろうか。
 最後の村里講演は、蝶々夫人とグラバー家の関係を追ったもので、直接関係ないが、さまざまな断片的な噂話のなかには、グラバー家の話もあったかも程度のもののようだ。不平等条約とパラレルな性的搾取の一般的な状況を切り取ったものであったという話。あまり興味のない話なのでこの程度。