健軍松尾神社の石碑



松尾神社御由緒抜粋」碑



松尾神社御由緒抜粋 例祭一月五日、九月廿六日


 文化年間吉日(西暦六百四拾五年)当地に鎮座。
果実や樹根の類を以て、飲料を醸造する事は
孰れの国でも早くより考え出されたもので、
我が国にても亦最も古くより行われていたも
のでありますが、更に進んで、これを米・麦・豆
等の穀類に適用して、所謂穀醸の法を創始せ
られた神は、即ち、わが松尾神社の御祭神、
大山咋命市杵島姫命であります。社伝によ
ると、松尾大神は産業の開発に力を致され、
先ず、山城・丹波地方の山野を拓き、民に耕耘
の業を教え、盛んに農事を奨励せられ、これ
により収穫し得た五穀を選み取り、これを御
山の水を以て種々試醸せられ、漸く今日世に
伝わる処の醸造法の基礎を作られたのであり
ます。故に、古来醸造の祖神として、又産業
守護の大神として篤き崇敬を受けられて居る
次第であります。
京都市右京区松尾山鎮座 松尾大社々記)
         責任総代 羽田金太郎
昭和六十年九月吉日  総代 松本 政春
           仝  松窪 貞人
           会計 竹原 博規
               氏子一同


松尾神社新築記念碑」




正面

松尾神社新築記念碑

代表役員代務者 羽田金太郎
建設委員長   松窪國光
 代表委員   松本政春
 〃 〃    松窪貞人
 総代     辻村行則
 〃 〃    田上敏治
 会計     竹原博規
 設計監理 熊本県経済連設計事務所
 施工  株式会社 建吉組
 記念碑施工 荒木石材工業
   昭和六十二年四月吉日



裏面

 告
現在上山の下公園東口門より出入する通路
は従前松尾神社の出入通路として何百年も
使用していたが市区画整理により市上山の下公園
通路となったが市と交渉の結果松尾神社
路として末長く使用することを後世に伝える
   昭和六十一年八月一日


松尾神社代表役員代務者
元東部区整理審議委員
健軍第3町内自治会長
羽田金太郎