徳永直文学碑

 著名なプロレタリア文学者の記念碑。石碑本体だけではなく、周囲も整備されていて、金がかかっている感が。それだけ、これを作りたいという人が多かったということなんだろうけど。




石碑正面

私たちはもっと労働に
ついて語らなければならない。
労働のもつ内容は、現在
語られている多くの恋愛
よりも、インテリゲンチャ
ある種の悩みよりも、乃至は
消費生活の絢爛さよりも、
はるかに豊富で、人類を
益するものである。
        徳永 直



石碑裏面

一九七七年二月建之


 世話人   四十名
 代表   高光 義明
 用地提供 寺崎フサエ
 設計   宮崎 静夫
 施工   永田日出男



石碑左略歴

   徳永直の略歴
 一八九九年一月二十日 熊本県飽託郡花園村(現熊本市)に生
まれる 黒髪尋常小学校を卒業し 熊本市内の印刷工場 阿蘇
発電所などに働くかたわら 苦学し 読書に親しむ 社会主義
動に関心をもって一九二二年上京 印刷工として労働組合 消費
生活協同組合などの運動を推進しつゝ 組合機関紙に作品を発表
一九二五年末から翌年三月にかけての協同印刷争議に参加し 解
雇される 一九二九年 その体験をもとにした小説「太陽のない
街」を「戦旗」誌上に連載発表し 小林多喜二の「蟹工船」など
とともに 戦前のプロレタリア文学運動に新しい時期をもたらし
同時に日本プロレタリア作家同盟員となる 一九三三年に作家同
盟を脱退後も 働く人々の生活を描きつづけ 「八年制」「最初
の記憶」などを発表 また戦火の激しくなるもとで 活字の歴史
を研究して「光をかかぐる人々」にまとめる 一九四五年の敗戦
後は 新日本文学会創立発起人の一人として 民主主義文学運動
の発展に力をつくす 一九四六年 日本共産党員となる 「妻よ
ねむれ」「静かなる山々」など 多数のすぐれた作品を遺し 一
九五八年二月十五日 五十九歳で死去