「西南戦争 発掘した史実は」『朝日新聞』18/9/5

www.asahi.com


 西南戦争に関連する考古学的成果の紹介。熊本城天守閣の焼失の火元の話と薩軍の武器の話の2テーマが紹介されている。

 まずは熊本城炎上のお話。本丸御殿の発掘で、火元が判明した。一番奥の小広間、当時は鎮台幹部の執務室だった。外部からの工作員の犯行の可能性は少ない。また、まともな消火作業が行われた形跡がない。このことから、熊本市の文化振興課は、自ら火を放った、自焼説を押しているようだ。
 しかし、幹部クラスないし出入りできる者に内通者が居たなら、話は違ってくるのではなかろうか。自焼なら、天守閣に蓄えていた米を搬出していないのが解せない。篭城後半には、食糧不足に苦しんでいたそうだし。

 二番目は。薩軍の装備した武器の話。かつては、装備火器の差で敗れたといわれていたが、戦場跡の発掘調査が進み、互いの装備に差がないということが明らかになったという話。戦跡考古学の研究の舞台としての西南戦争。どちらも、同じスナイドル銃を使って戦っていた。弾丸の分析から、鹿児島で火薬を調合していたという話が興味深い。つまり、政府軍によって鹿児島を占拠されたのは、補給上、相当の打撃だったわけか。

 

西南戦争の考古学的研究』(吉川弘文館)の著書がある考古学者の高橋信武さんは「西南戦争でも大分と熊本では銃器の使われ方が違うなど、考古学的手法でしかわからないことも多い。現地の地形や遺物出土状況から近代戦を考える視点がより重要になる」と話す。

 

 へえ。戦場の性質や戦況によるのかな。暇があったら、読んでみよう。