繁田信一『呪いの都平安京:呪詛・呪術・陰陽師』

呪いの都 平安京―呪詛・呪術・陰陽師

呪いの都 平安京―呪詛・呪術・陰陽師

 タイトルの通り、平安貴族たちの呪術的世界を追った本。貴族たちの流血の闘争こそ避けられたものの、だからこそ、権力を巡る争いは陰湿な呪詛という形を取るようになった。「僧円能等を勘問せる日記」など、当時の史料を元に、権力の中枢にあった藤原道長や同実資たちが、どのような呪詛に直面していたか。
 後半は、呪詛をその一部に含む、平安貴族の呪術的世界観。当時の貴族たちは、病などを、呪詛だけでなく、さまざまな霊的存在に掛け合わせて考えていた。また、死後の世界の認識など。あるいは、「二中歴」に見る、日常的に使用されるまじないや王朝物語に表現された呪詛など。
 論文を寄せ集めたせいか、同じ著者の本の中では、読みやすいとは言えないような。


 前半の第一章は、寛弘6(1009)年に行われた藤原道長をはじめとする要人に対する呪詛事件に関わる史料「僧円能等を勘問せる日記」や「小右記」を中心として、当時の呪詛の姿を追求する。
 呪符などの呪物を、呪いたい相手の居所や井戸に置くのが基本。呪物=式神なのか。その担い手は、民間呪術者である法師陰陽師であった。とはいえ、中下級貴族の仕事を受ける円能とか、道満は、かなり上級の術者だったんじゃないかなあ。
 平安時代は、血縁を巡る政争で上級貴族の血が流れるようなことはなかったが、一方で、政権中枢の人間は常に呪詛の脅威にさらされることになった。安倍晴明などの陰陽寮などに所属する官人陰陽師は、もっぱらこのような最上級貴族の、呪詛からの防護や各種の祓い、病気の占いに任じた。
 呪詛がばれた術者の後がなかなか怖いなあ。獄死とか、自分で自分の呪詛を受けさせられるとか…


 一方で、これらの呪詛というのは、呪術世界の一部でしかなかった。病気になると、原因が占われるが、このなかにか多数の神仏や霊鬼、食中毒などの要因がそもそも候補に挙がっていて、そこからどれそれが原因と決められる。さまざまな「もののけ」=霊威の脅威にさらされていて、陰陽師の主任務は、それらの原因究明、解除であった。
 また、妬みなどの人の悪意なども、事故や不幸の原因になり得た。一方で、源氏物語六条御息所の生き霊は、ファンタジーであったという。


 第二章は、少々雑多だが、平安貴族たちの呪術的世界。
 最初は死後の世界。平安貴族たちには、死後は、他界に赴くと観念されていた。夢によって交信できる存在でもあった。また、源信の「往生要集」の影響で、厭わしい他界である地獄と欣ばしい他界=浄土に分かれ、地獄に堕ちた人々は、地獄の苦しみに耐えかねて、悪霊となって人々を病気で苦しめることもあった。
 というか、生きている人間と同じように交渉できるのがおもしろいな。というか、むしろ死んでからの方が、要人の命を人質に取れるから、交渉力が強くなっているような。一方で、三条天皇の眼病の元となった賀静の霊、天台座主の追贈を要求していたのに、現天台座主が怨霊になりかねないレベルで激怒したときは、要求水準を下げているのが微笑ましいw
 続いては、鎌倉時代の辞書「二中歴」に含まれる「呪術歴」から、平安時代の呪術師を必要としない呪術について。現代で言えば、お葬式で配られる清めの塩みたいなものと考えればいいのかな。もうちょっと、深刻度が高いようだけど。
 和歌、漢詩、名号、九々如律令など、さまざまな呪文が存在する。
 で、最後は王朝物語の世界の呪詛。「のろい」や「呪詛」という言葉は、物語作者には避けられた。結果として、「式を伏す」などの言い換えが使われた。しかし、歴史書としての性格をもつ「栄花物語」では、地の文では使われていないが、宣旨などの引用で「呪詛」という言葉は避けられなかった。
 「源氏物語」では、第一の読者が藤原道長中宮彰子だったためか、呪詛の描写は避けられているという。


 終章は、安倍晴明のライバルとして著名な蘆屋道満の「実像」。
 寛弘6年の呪詛事件では、道満は、呪詛の首謀者高階光子が平素からの顧客であったために、呪詛に関わったと疑われただけ。確実な史料では、呪詛は行っていないし、そもそも、この事件の時には、安倍晴明は没後だったという。
 なのに、後世の説話では、いつの間にか安倍晴明のライバルに仕立て上げられているという。
 当時において、実行犯の円能と比べて、ネームバリューが大きかったのかねえ。どちらも、中級とは言え、貴族層を顧客とするトップクラスの法師陰陽師だったと思われるのだが。
 そして、彼ら法師陰陽師は、祓えなどの儀礼などの年中行事の需要があった。最大20人程度の官人陰陽師では、貴族層全体の需要を満たせず、民間の陰陽師の重要性は高かった。
 貴族層を顧客として、呪詛事件の実行犯として名前が出てくる法師陰陽師は、トップクラスだが、一方で、民間陰陽師のなかには、ごろつきまがいの者もかなりいたという。


 同時に紹介されている官人陰陽師のリストも興味深いな。すでに、家系による寡占が進んでいた。安倍・賀茂・惟宗・大中臣の4氏が複数登場。縣・河内・錦・和気姓がそれぞれ一人づつか。