中西僚太郎他編『近代日本の視覚的経験:絵地図と古写真の世界』

近代日本の視覚的経験―絵地図と古写真の世界

近代日本の視覚的経験―絵地図と古写真の世界

 近代に入ってから、制作・刊行された地理的情報源、古写真や鳥瞰図などの地図的絵画、民間制作の地図、観光リーフレットについて、どのような資料か整理し、それがどのような機能を担っていたかについて検討した論文集。近代の地図類が、学術的な資料としてとりあげられる範囲になったかと、感慨が。
 ここの論文については、資料群の収集・研究方法などのレベルによって、ばらつきがある感じ。例えば、鳥瞰図や真景図が表現内容に目を向けた検討を行なっているのに対し、写真は収集整理の段階、民間刊行地図は収集の段階といった状況のようだ。
 本書はコラムを入れるなど、独立した書物として楽しめるように工夫されている。特に、コラムのチョイスが非常におもしろい。ゼンリンの住宅地図の沿革や奈良の地図商「絵図屋」の資料の紹介などは非常に興味深い。
 本書は地理学畑の著者によってかかれている。元は科研費などの助成研究だったようだ。それだけに、描かれている内容の分析などには限界があるように思う。メディア論や図像学、観光史研究などの研究者との共同作業が出てくると、より研究が展開しそうだと思った。
 以下、各論文・コラムごとの感想とメモ。

第一章 山田志乃布「描かれた植民都市:近代札幌の「風景」」

コラム1 山田志乃布「地域情報の記録と風景画」
 札幌に関連する画像資料の紹介と「札幌市街之真景」の紹介と特徴について。市街の建設の進捗やその後の歴史記述との関連を紹介している。
 欠点としては、資料の紹介に終始し、「まなざし」を明らかにするところまで行っていないというところ。他の情報源と付き合わせて、なにを描き、なにを描いていないか、なにを撮影し、なにを撮影していないか。そこを明らかにしないと、開拓使がなにを見せたかったのか、どのような目線で見ていたのかというところにたどりつかないのではないか。

第二章 山根拓「近代地方都市図の展開:富山・金沢の民間地図」

 富山と金沢に関連する民間地図を調査し、地方都市の民間地図出版の沿革を明らかにしている。資料となる民間地図は、地元の図書館博物館の所蔵品と国際日本文化研究センターの所蔵地図データベースを利用。それらに記載された、出版年、出版者、印刷法(木版・銅板など)の属性から、金沢・富山における地図出版の特徴を明らかにしている。地元出版者の存在と金沢の地図出版の伝統。イベントに合わせて出版数の増加、地図の特徴などを明らかにしている。
 他に応用が利きそうな方法。

  • デトレフ・タランチェフスキ「古地図解釈へのアプローチ:西岡の絵図・古地図を理解するための覚書」黒田日出男、メアリ・エリザベス・ベリ、杉本史子編『地図と絵図の政治文化史』東京大学出版会 2001


コラム2 三木理史「奈良絵図屋にみる地図出版の近世・近代」

 1684年から1941年まで、奈良で地図出版を続けた「絵図屋」筒井家の解説。近世近代と営業を続け、史料も残っているというのは、数少ないだろうな。よく残ったものだ。
 近世からのロングセラーとなった真景図や奈良の街の平面図、奈良県内の他の名勝の地図などが紹介されている。17世紀末の東大寺再建から、明治20年代の奈良の史跡再評価、鉄道による観光の範囲の拡大といった状況の変化にあわせ、出版内容が変遷して言ったのも興味深い。


第三章 関戸明子「熱海温泉の鳥瞰図の特色と表現内容」

 熱海温泉を描いた鳥瞰図を収集し、その特色について明らかにしている。地元業者の要請によって作成され、みやげ物として販売されたことが指摘される。
 後半の熱海温泉場取締所発行の鳥瞰図についての部分がおもしろい。絵図の検討から、源泉をめぐる対立から自己の正当性を主張する、理想像を描いたと指摘されている。

第四章 中西僚太郎「明治・大正期の松島を描いた鳥瞰図」

 こちらは、東北の松島を描いた鳥瞰図を分析。
 地元の旅館などによる発注、仙台の業者による制作が、後には仙台の業者が自身で制作発行するようになったと指摘。発行元の所在地が松島か塩竃によって構図が変るという指摘。近世以来の歌枕から写真による案内によって注目される島が変化するという状況が鳥瞰図にも反映されているという指摘が興味深い。

コラム3 齋藤枝里子「瀬戸内海遊覧地図」

 瀬戸内海観光を巡る目線。


第五章 関戸明子「明治四三年の群馬県主催連合共進会と前橋市真景図」

 明治43年の共進会とそれに関連して出版された前橋市真景図の解説。商店の広告・案内としての真景図。

第六章 中西僚太郎「昭和初期の千葉市街を描いた鳥瞰図」

 千葉県内の鳥瞰図を多数遺した松井天山の経歴・画業とその代表作「千葉市街鳥瞰」の検討。
 こういった、地域に根づいた画家がたくさんいるのが興味深い。探せば、いろいろと忘れ去られた人が発掘されそう。
 後半は「千葉市街鳥瞰」の特徴を検討。デフォルメされた鳥瞰図の情景。広告・店舗案内のメディアとしての鳥瞰図の指摘。

コラム4 関戸明子「吉田初三郎の鳥瞰図」

 タイトルのごとく、吉田初三郎の鳥瞰図の解説。
 掲載されている1927年刊行の「別府温泉御遊覧の志をり」を見ると、別府の北のほうは市街地化していなかったんだなとか、中心部のデフォルメすごすぎとか、描かれている客船が時代がかっていていいねとか。


第七章 河野敬一「大正・昭和前期の職業別明細図:「東京交通社」による全国市街図作成プロジェクト」

 個人的に一番興味がある章。東京交通社が大正から戦前期、戦後にかけて刊行した、全国の市街地図「大日本職業別明細図」の紹介。同社の職業別明細図は、記載された通し番号から推定すると、戦前期に700点強、戦後は「日本商工業別明細図」と名前を変えて600点程度刊行しているらしいが、全貌は不明とのこと。また、東京交通社が戦後熊本市に移転していると言うのも、興味深い話。同社は、1969年の熊本市の地図を最後に、跡付けられないそうだ。これに関しては、ゼンリンの住宅地図との競争に敗れたためと推測している。
 熊本周辺に関しても刊行されているようなので、そのうち実見したいところ(その前に、新旧の地形図の付き合せが先か)。熊本県内だけでも、熊本県立図書館内に複数、あとは古書市場にも何種類かあるようだ。

  • 岡島建「近代の商工地図とその利用」『国士舘大学文学部人文学会紀要』34 2001
  • 地図史料編纂会編「『商工地図』について」昭和前期日本商工地図集成解題『商工地図をよむ』柏書房 1987
  • 鹿沼市史編纂委員会編『鹿沼市史・地理編』鹿沼市 2003
  • 河野敬一・川崎俊郎「鹿沼市中心市街地の変容」『鹿沼市史研究紀要・かぬま』6 2001
  • 河野敬一「近代期における市街地図の刊行:東京交通社による職業別明細図の所在目録の作成を通じて」研究代表者関戸明子『近代日本の民間地図と画像資料の地理学的活用に関する基礎的研究(平成15-18年度科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果報告書)』2007
  • 山田誠「近代日本の大縮尺都市図」研究代表者山田誠『近代日本の大縮尺地図に関する基礎的研究(平成13-16年度科学研究費補助金基盤研究(B)(2)研究成果報告書)』2005

関連:大日本職業別明細図(商工地図)国会図書館の所蔵情報)

コラム5 河野敬一「ゼンリンの住宅地図」

 ゼンリンの住宅地図の沿革と編集方法、研究への利用法など。ゼンリンは各地方の住宅地図出版社を吸収して、全国規模に成長したそうな。あと、注意ワード「国土基本図」。

  • 50年史編纂プロジェクト編『ゼンリン50年史』株式会社ゼンリン 1998
  • 日本地図センター企画編集部編「ゼンリン住宅地図とデジタル地図の60年」『地図中心』429 2008


第八章 三木理史「地誌と写真帖」

 地理的・地誌的な写真帖の出現と展開。製版の展開、写真の二次利用の話、府県写真帖など。戦場写真の話も興味深い。軍が撮った公的な写真が「記録性」重視で、地誌的に利用可能なのに対し、民間では実際の戦場の写真も多いという対比。

  • 有山輝夫『海外観光旅行の誕生』吉川弘文館 202
  • 小沢健志編『幕末 写真の時代』筑摩書房 1996
  • 小沢健志『幕末・明治の写真』筑摩書房 1997
  • 国立国会図書館専門資料部編『国立国会図書館所蔵 写真帖・写真集の内容細目総覧:明治・大正編(参考書誌研究第33号)』国立国会図書館 1987
  • 斉藤多喜男「横浜写真の世界」横浜開港資料館編『増補彩色アルバム明治の日本:《横浜写真》の世界』有隣堂 2003
  • 斉藤多喜男『幕末明治 横浜写真館物語』吉川弘文館 2004
  • 中川浩一「解題:アジア・アフリカを中心としたガイドブックの刊行史:一九世紀から第二次世界大戦前を中心に』中川浩一編『アジア・アフリカ都市図集成』柏書房 1996
  • 三木理史『世界を見せた明治の写真帖』ナカニシヤ出版 2007
  • 三木理史「府県写真帖の成立」『地方史研究』333 2008

関連:江戸時代の幕末〜明治時代の写真が見れるサイトのまとめ

コラム6 中西僚太郎「旅の視覚的経験と絵葉書」

 旅の経験を伝えるメディアとしての絵葉書。旅行者からの絵葉書を通じて、宛先人にも体験が共有される。


第九章 荒山正彦「リーフレットからみる満州ツーリズム」

コラム7 荒山正彦「日本旅行地図」
 折本形態の観光案内による研究。この種のリーフレットを使った先行研究は、この種の資料が図書ではないために図書館などでの収集の対象になりにくく、また発行年などの書誌情報が記載されていないことが多いために、基本的データが蓄積されていないためだそうだ。
 本論文では、満州観光のためのリーフレットを素材に、満州観光のコースの析出や主要な目的地に対するまなざしを明らかにしている。