論文指導の意義ってなんだろね、というおはなし bluelines

bluelines.hatenablog.com

アメリカの大学院では、アカデミック・ライティングのスキル育成にすごく力を入れる。どんなに素晴らしいデータも理論も、他人を「読んでみよう」という気にさせる論文にしなければ意味がない、という考えがあるから。で、ライティングの指導はそれ専門のクラスがあるわけではなく、普段から書いたものをいちいち指導教官に直される、という形で行われていた。

そういう経験を通して自分の身に付いたのは、結局「総合的なプレゼン力」なんだと思う。自分が持っているひとまとまりのデータからどんなストーリーを立ち上げるのか、そしてそのストーリーをどれだけ効果的に提示できるのか、という力。これがあれば、論文作成だけではなく学会での口頭発表も、そして大学での授業もできるようになる。仮にアカデミックな世界を離れたとしても、間違いなくいろんな場面で活用できるスキルだと思う。

 こういうところを意識的にやっているのがアメリカの学問の強みなんだろうなと思う。プレゼン能力は本当に大事だと、できないからこそ思う。まあ、悪い方に行くと、浅薄なものをプレゼン力だけで飾り立ててしまうということにもなるのだろうけど。