時代の風:公文書の不在=東京大教授・加藤陽子 - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120219ddm002070081000c.html
 公文書管理法は福田康夫元首相の歴史的な功績だと思う。しかしまあ、第二次大戦の敗北か、高度成長のいずれかの結果、日本社会全体において歴史の断絶という時代が起きているよなあ。正直、私自身、高度成長期以前の日本社会が良く分からないところがある。

政治、すなわち、多様な要求に優先順位をつけるための選択と決定が真剣になされる場で仮に、意思決定過程が判然としない決裁文書一枚だけの記録が持ち出されたり、記録の不存在が頻繁に報告されたりすれば、その非を鳴らす声が霞が関や永田町中に鳴り響いていてもよさそうだ。

 それが戦後長く見られなかったということは、中央と地方の間で権限と予算を配分する力、国民の利益と義務を分配する力、すなわち政治が日本にはなかったことを意味している。

 記録を大切にしない風土の根幹には政治の不在がある。右肩上がりの成長期、政府はパイを増やし続けることで分配の優先順位をつける決断を回避しえた。誤解してほしくないが、問題は決断にたけた政治家の不在ではなく、政治の不在にある。

 「政治の不在」か。なるほどなあ。