河田精一顕彰碑

 上の旧邸碑の、園路を挟んだ反対側にある石碑。この河田精一氏は、その後、この場所を所有した人で熊本の繊維工業の中心的立場の人だったとか。しかし、いくつか漢字が読めないのだが…



熊本織物協会は明治七年に濫觴し十一年今の名義に改めしより茲に五十年国
産振興の機関として今日の盛運を見るに至りたるは会員共同努力の致す所な
りと雖も抑も亦会頭河田精一君か至誠一貫終始身を以て其衝に当り善く之を
指導したるに頼らずんばあらず三十五年の秋 明治天皇肥築の野に幸し特別
大演習を統監せらるるや協会は県下の織物を大本営の一室に陳列し之を
天覧に供し奉りしに畏れ多くも御買上げの恩命を拝し之に由りて協会の名称
九重に達することを得たるが如き是れ皆君が会員と共に一心同体と為り産業
の発展に貢献したるの結果にして其の光栄も亦大なりと云わざるを得ず今や
明治大正時代を経過して昭和の聖世に遭遇し○古の大典を挙げさせ給ふに際
し君当○創業経営の苦心を記念し之を不朽に伝へんと欲し文を予に嘱す予乃
ち其の梗概を叙し以て之を後の君子に○くと云ふ
                        徳富猪一郎撰
                        菊池真人書