十川陽一『人事の古代史:律令官人制からみた古代日本』

 古代国家が人事を通じて、どのように国家に人々を組織していたかというお話、なのかな。読むのに時間がかかって、全体的な内容が頭に入っていない。さっと読み直したけど、どうにも。
 大王というのが、地縁や職能でゆるく結びついた豪族達に推戴される性質のものであった。豪族も、複数の有力者がいて、意見の対立が起きた場合には力尽くの解決しかなかった。これを、個人をランク付けすることで、地位を可視化し、勢力を一本化する。その上で、「官人」として国家に組織化する。
 律令による政務がダウンサイジングされて、形を変えていっても、天皇のもとに組織するという機能は生き残り、ちょっと拡大解釈すれば、位階を授けるという機能だけで天皇と朝廷という組織は生き残った感がある。
 現在でも、軍事組織の階級名は四等官なんだよなあ。将(かみ)、佐(すけ)、尉(じょう)、曹(さかん)。一番上と下が近衛府の官職で、真ん中が衛門府兵衛府の官職と混ざっているのがちょっと不思議。こういう階級名を考えた人は、どう考えて、ミックスしたんだろう。まあ、近衛府のすけは中将・少将だからやりにくかったのかも知れないが。


 出世の階梯の格差が印象深い。
 貴族層の子息が蔭位の制度のおかげで、かなり高位の位階を最初から得られるのに対して、初位から始める人は6年に一度の考課で何十年もかけて昇進していかないといけない。もっとも、本当に有能で勤勉な人は、ガンガンスキップして昇進していくことも、制度上は可能なようだけど。

家柄重視と官僚制とは決して矛盾するわけではない。官僚とはマニュアルに則って業務に従事する存在であることが第一であって、採用方法や出自の如何は前近代の官僚制にとって本質的な問題ではない。p.85

という指摘が興味深い。中国、唐が科挙と同時に貴族制が繁栄を極めた時代であったことを紹介しているが、フランスのアンシャンレジームの官僚制も同様。総力戦の時代になって、個々の国民とやり取りするようになって、事務量が膨脹した上で、義務教育が敷かれた20世紀の官僚制の常識とはずいぶん違うんだよな。
 古代豪族をひとまとまり単位で取り込んで、議政官として組織することが重要であった。位階で一番の上位者を指定できる。


 奈良時代の前半には令の規定に沿って人事考課や制度運営を真面目にしようとしたというのが印象深い。奈良時代後半になると形骸化。平安時代には特定のポストに何年ついていると、昇進というパターン化が進む。
 平城宮式部省の木簡削りくずから、人事制度がどのように運営されたか、復元できるというのがすごいなあ。


 官職につけない「散位」に注目しているのも興味深い。そこにこそ、本質が現れる。国家に直接組織される官人の拡大は望ましい事だったため、位階は広くばらまかれ、結果として官職の定員に対して、それに相応する位階をもつ人間のほうが多くなる。そのため、散位寮という管理組織を設置して、対応に当たらせる。
 写経所に勤務して出来高払いの給与を受けたり、有力貴族の家政機関に勤務させて間接的に支配する。
 政争の敗者を、いわば飼い殺しにする手段として、令の人事を利用するというのも印象深い。藤原仲麻呂橘奈良麻呂の乱で敗者になった人々が、散位からの左遷人事で地方の閑職というか、むしろ形式的な役職に押し込められて放置されるの、島流しと変わらないなあ。一方で、刑法である律は、法律こそ整えられたものの、本格的運用が成されなかったという。


 地方の有力者が位階を求めた意味というのも興味深い。官人に認められた免税特権は、単純に税金を払わなくてよいというだけではなく、軍事などの地方豪族によって組織される生産社会からの離脱でもある。様々な面で豪族からの自立が可能になった。
 あるいは、官人を象徴する装束などが、律令国家の外まで輸出されていたというのも興味深い。


 第4章は、平安時代以降の話。
 まず、古代豪族が奈良盆地内の勢力基板から切り離され、平安京で都市貴族として再編される。これが大伴氏以下の古代からの豪族にとって不利であった。むしろ、土師氏から派生した菅原氏や大江氏のような文筆などの特定の職能に特化した人々のほうが適応している、と。
 また、それぞれの家単位で、先例などの実務情報が蓄積され、左大史を世襲する小槻家のような官職を世襲する家が出てくる。
 また、律令による政務がダウンサイジングされて、内裏内で執務が完結するようになり、大内裏はほとんどが荒廃。種々の官司も、内裏内の「所」と呼ばれる縮小版の組織が実務を行うようになって、有名無実化していく。それに伴って、下の方の位階は実質消滅したり、途中、ほとんどスキップされる。
 一方で、受領に地方統治を委任し、その代わり受領を人事で制御する間接統治方式で、国家の統治は維持されていた。


 さらに、その後も官職や位階は、地域での権威を確立するために必要とされ続けた。