石碑

新南部菅原神社の旧手水鉢と五輪塔残欠

享保十四年銘の手水鉢と梵字が刻まれた円形の石造物。これも、旧社地から移動させてきたのかな。 map:x130.751905y32.817544:map:h300

新南部菅原神社の狛犬

こまやん。 年紀が記載されていないけど、現社殿が建設された2003年に設置されたものと思われる。 map:x130.752083y32.817485:map:h300

新南部菅原神社「竣工記念」碑

梅を撮りにいったら、見かけたので。前にも来たことあるけど、こんな石碑、あったっけ。 文字が、全部前面にあるのは、楽で良い。今、新南部公民館があるところにあった、旧神南部神社は、菅原神社じゃなかったんだ。 map:x130.752132y32.817420:map:h300 竣…

渡鹿堰「昭和二十八年災害復旧事業 竣功記念碑」が真っ二つに。

久しぶりに、竜神橋近辺を移動。渡鹿堰の前を通りかかったら、「災害復旧事業竣功記念碑」が、崩落、真っ二つに割れているのを目撃。石碑本体が、台座から転がり落ちて、真っ二つになっとる。 在りし日の姿→渡鹿堰「昭和二十八年災害復旧事業 竣功記念碑」 -…

「行幸記念碑」

薬学部キャンパスの北門脇に建っているもの。昭和6年に陸軍特別大演習が熊本で行われた際、当時の薬学専門学校にも昭和天皇は訪れていたようだ。つーか、このときの行幸記念碑は、あっちこちにあるな。どんだけ、フィーバーだったんだよ。 map:x130.721264y3…

「加瀬佳年先生」胸像

薬学部のキャンパスの北門に建っている胸像。一昨年設置された新しいもの。 map:x130.721309y32.795303:map:h300 加瀬佳年先生は、本学の前身熊本薬学専門学校を、次い で熊本医科大学を御卒業。昭和五十七年三月頌声の中に定 年退官されるまで二十一年間に…

熊本地震で破損した石碑

石碑が外れて、台座だけが残る。薬学部のキャンパスをウロウロしていて遭遇。 map:x130.720520y32.794786:map:h300

「安香堯行先生之像」

戦前、私立時代から官立時代初めまで、校長をやった人の銅像。上の石碑と並んでいる。 戦時中に、金属供出でいったんなくなって、その後、再建されたらしい。 銅板に彫ってあると縦線が見えにくくて、碑文がすごく読みにくい。 map:x130.720788y32.794125:ma…

「建学記念碑」

宮本記念館の入り口、向かって左側に、「安香堯行先生之像」と並んで建つ石碑。比較的あたらしいもの。この手の、ピカピカ石碑は、自分がばっちり写ってしまうので、困る。 map:x130.720745y32.794120:map:h300 石碑正面 建学記念碑 夫レ薬剤師ハ医師ト並立…

「熊本県薬業組合記功碑」

ここからしばらく、熊大の薬学部キャンパス内の石碑。一気に、6つほど。しかも、碑文が読みやすいのがすばらしい。 キャンパス南の正門脇、宮本記念館前に立つ碑。大正末建設。私立から官立に移行するにあたって、薬学校開校を顕彰したもの。碑文に墨が入れ…

小泉八雲レリーフ碑

小泉八雲熊本旧居の門脇にたっている、レリーフ碑。取り上げていなかった模様。銘文が少ないのは、逆にやりにくいというか。 今度の熊本地震で傾いたそうだが、写真も傾いているので、よくわからない。 map:x130.710892y32.801957:map:h300 石碑裏面 昭和三…

水前寺公園稲荷神社の手水鉢

見逃していたが、これ、江戸時代に遡るものなのだな。文化6年というと、1809年。大名庭園時代から存在。出水神社に先行する存在なのだな。年号しかチェックしなかったが、奉納者なんかも彫ってあったかも。いろいろと要調査。「屠維」っちゅのは、己年の異名…

「熊本市立実務商業専門学校の跡」碑

熊本城の地震被害の状況を見ていて、ふと見つけた石碑。ちょっと奥まったところにあるので、何度も通った道なのに、認識していなかった。あと、裏側が藪っぽいのが。 市立の商業系専門学校があるのだな。知らなかった。 こういう表面がピカピカの石碑は、自…

「創立50周年記念」碑

桜の木の下に置かれている石碑。自動車販売協会が記念植樹を行った際に接地されたのだろう。2009年だから、7年目か。 map:x130.734651y32.789214:map:h300 石碑正面 創立50周年記念 (社)日本自動車販売協会連合会 熊本県支部 裏面 平成21年1月26日

大永二年の板碑

熊本城内、天守閣と宇土櫓の間、平左衛門丸から南に下ってすぐのところにある板碑。何の石かと思って、近づいたら、年紀と仏様が刻んであった。大永二年は1521年だから、熊本城にだいぶ先行するもの。茶臼山には、寺院があったそうだから、それ関係なのかね。…

「植樹記念碑」

前々から、存在を確認していながら、記録していなかった石碑。あそこ、割りと走りやすいから、止まりたくないんだよね。 放水路沿いの桜並木植樹の記念碑。そう考えると、放水路の完成って、意外に最近なんだなあ。 map:x130.744687y32.810538:map:h300 石碑…

北岡神社の石灯籠と石造物

北岡神社は、肥後国府の鎮守として勧請された古社だけに、江戸時代からの石造物が散見される。 天保11年の石灯籠 山上の摂社の間にたっている石灯籠。天保11(1840)年の銘入り。奉納者は、大橋○高と刻まれている。 天明2年の水盤 これも、山上の本殿前に置…

「「寛政大津波」の追悼碑修復:南区良覚寺」『熊日新聞』15/5/28

熊本市南区川口町の良覚寺(吉村隆真住職)にある「寛政大津波」の犠牲者追悼碑が修復され、26日、門徒ら約40人が参加して記念法要があった。 1792(寛政4)年5月21日、雲仙・普賢岳噴火に伴う眉山の崩壊で津波が発生。対岸の熊本側でも5千人以上が犠牲にな…

六地蔵塔

黒髪一丁目にある六地蔵塔。国道3号線から、何の気になしに曲がったら、遭遇。二分されているが、結構立派なもの。この近辺だと、寺原自動車学校のそばに一つあるっけ。 調べてみると、こういう塔の形態をとる六地蔵って、九州独特のものらしいな。熊本市の…

室園の放牛石仏

3号線を北熊本駅に向かっていたところ、遭遇。ベスト電器の裏あたりに。こういう幹線道路沿いにあるのは珍しいなと思って、覗き込んだら、○○体目と彫りこんであり、放牛石仏と気づいた。最近、放牛の石仏は、顕彰が進んで、お堂の新築や解説板の設置などが行…

木部宮の狛犬

加勢川の堤防上に立地する木部宮の狛犬。良く見かける熊本型かな。時期から見て、出征時に奉納したなんてことがありそうな。 ここ、昔通った時は、道路の左手、堤防の下にあったような気がするんだけど。 map:x130.718507y32.745602:map:h300 台座右面 昭和…

嘉島町鯰の猿田彦

鯰公民館の南の、三叉路に建つ猿田彦。でかい。 特に年紀などを示す碑文はなし。 map:x130.742169y32.747354:map:h300

「庁舎落成合併30周年記念」碑

御船町恐竜博物館の隣、御船町役場の敷地入り口に建てられている石碑。御舟町民憲章なんて彫られているから、無視していたが、一応記念碑だったようだ。台座は石橋になっている。 昭和60年の建設だから、おおよそ30年前のものか。 map:x130.802204y32.714004…

「道路開鑿記念碑」

プラザ図書館からの帰路、たまたまいつもと違う道を通ったら、遭遇。園田神社から東へまっすぐの道を通ったら、三号線沿いの緑地に建っていた。どの道路かわからないけど、園田神社から三号線への道のことなのだろうか。旧薩摩街道なら「開鑿」とは書かない…

佐藤健太郎『ふしぎな国道』

ふしぎな国道 (講談社現代新書)作者: 佐藤健太郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/10/17メディア: 新書この商品を含むブログ (11件) を見る とりあえず、私に道路マニアの素養はないことが分かった。つーか、道路の管理主体の違いを取り上げて云々するの…

鎌研公園漱石句碑

県道一号線が、峠の茶屋を抜けて、熊本市にむけて細い坂を下る始めるところ。、待避所みたいな感じの場所に建っている石碑。『熊本の文学碑』には「公園」となっているが、とっても公園には見えないな。 map:x130.659649y32.818745:map:h300 石碑正面 木瓜咲…

南越展望所漱石句碑+「皇太子美智子妃両殿下御展望の地」碑

県道一号線沿い、張り出した尾根を通過する場所に建てられた石碑。実際、非常に眺望がきいて、金峰山の西麓や、有明海、玉名の平野がよく見える場所。誰しもが、足を止める場所か。 map:x130.600470y32.845287:map:h300 石碑正面 降りやんで 蜜柑まだらに 雪…

「日露戦役記念碑」

県道一号線が集落内の細い道を抜ける。途中にある小天神社の社殿脇に外に向けて建てられた石碑。台座や裏面に、従軍者や寄付者が彫ってるが、例によって省略。裏面は写真に撮ったが、ものすごい逆光でほとんど見えず。辛うじて、碑文ではなく人名であること…

熊本築港建築学会賞受賞記念碑

フェリーターミナルから、駐車場の中を西に向かって歩いている時に遭遇したもの。表に一枚、裏に五枚の金属プレートが埋めこまれている。前は、受賞に関するもの。裏面は、熊本港の建設を可能にした技術の解説。 ちなみに、碑文については、原文ママなのでよ…

「無漏寺碑」

なんども挑戦しつつ、読めなかった石碑。ここのところ、整備の動きがあって、その一環として、この無漏寺碑も磨かれたようだ。いままで、地衣類なんかで読みとれなかった碑文が読みやすくなっていた。 今は無住寺だけど、本来は無漏寺のほうがメインだったん…